大乗寺の山門風景

 大乗寺と円山応挙

 とりあえず、一通りの修行を終え僧侶となった私が居る大乗寺は、別名応挙寺と呼ばれ、円山応挙とその直弟子12名が165面の障壁画(国重文)を残しています。円山応挙とその一門が描いた障壁画のある大乗寺客殿は、応挙の絵画の到達点と言われています。
 遠近法を使って2次元の平面中に3次元の空間を描くのではなく、実空間に3次元の立体を如何に描くか。応挙は、複数の立体的に配置された襖でマルチスクリーンを構成し、それによって作られた部屋という空間に、3次元立体像を鑑賞者の心の中に象徴することでその対象を描いています。たとえば、孔雀を描いた部屋では、孔雀の絵を見ることで、孔雀を台座とする仏である阿弥陀如来を連想させ、鑑賞者の心に阿弥陀如来の立体像を想起させるようになっています。阿弥陀如来の詳細な姿を知らなくても、阿弥陀如来の名を思うことで鑑賞者は、阿弥陀如来像が孔雀の間に立っているように感じるわけです。「パンダ」と聞いて「パンダ」の姿が思い起こせるでしょうが、いざ描いてみてくれといわれたとき、どの部分が黒で、どの部分が白かは判らないと思います。しかし、「パンダ」と聞いただけで「パンダ」の立体像が理解できているわけです。言葉や文字を使わなくても、共通の体験を通して、言葉や文字といった理屈を超えて人々が互いに理解できることの具体的な例だと思います。この手法で、障壁画で囲まれた13部屋からなる客殿全体に、三次元の仏像群を象徴して立体曼荼羅を創りだし、密教宇宙観を形で表現しています。密教の特徴としてよく言われる象徴主義の具体例といえるでしょう。



 障壁画と風景

 障壁画で知っていただきたいことは、襖で作られた部屋(空間)が、雨戸を開け放った時、外の景色と一体化することです。建物の中の空間が周りの景色を取り込み、又取り込まれるようになっていることです。これは、自然と共生する日本人の特質が建物にも表れたものだと思います。日本人が、決して自然と対峙するような民族ではないということでしょうか。
 雨戸は単に雨露を防ぐだけのものであって、建物外部と室内を分離する隔壁ではないということです。となると、日本住居の縁側は、外と中をつなぐための重要な緩衝地帯となるようです。額縁で区切られたスペースの中で描くのではなく、建物と一体となって描く発想がもともと日本絵画にはあったようです。縁側の無い洋風の家が多くなっている昨今、絵画も額縁に入れて飾るのが似合うようになり、日本画ですら額縁に入れて、油絵タッチのものが多くなっているのは残念なことです。
 自然と一体化した絵画空間が大乗寺客殿といえます。障壁画を鑑賞する時、障壁画に向かって感じるだけでは本当の鑑賞ではなく、障壁画を背にして外の風景を眺めていても、背中の絵画も外の景色と一体として感じることができ、自分が絵画空間と実空間が融合した新たな空間の中に居るようになるのが本来の感じ方と言えるでしょう。