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平成19年6月30日
第11回「桃陰文化フォーラム」報告
第11回「桃陰文化フオーラム」 講演会
企画渉外部 ・ 桃陰文化フオーラム事務局
同窓会のご援助・ご協力で始まりました「桃陰文化フォーラム」も平成19年度で4年目を迎え、今年のスタートとして6月30日(土)の午後2時から、第11回「桃陰文化フォーラム」―『メディアの役割と新聞記者の生活』と題する朝日新聞論説委員 脇阪 紀行氏(天高25期)による講演会が視聴覚教室で行われました。
朝から梅雨の真っ最中とて曇り空、時々小雨が降り出し参加者の出足が心配されましたが、ホッケー部のOBはじめ25期の方々や生徒・保護者・教員等80名近くの聴衆が、プロジェクターに映し出される写真を見ながら真摯・篤実なお人柄がよく表れた脇阪記者のお話に聞き入りました。
同期である川下同窓会副会長の講師ご紹介のあと、脇阪さんはこの日のためにわざわざ用意してくださったレジュメをもとに、天高時代のこと、ホッケーに熱中したこと、京大時代のこと、朝日入社の経緯、記者としての駆け出し時代―松山・和歌山支局での出来事、特派員としてバンコク滞在時の思い出、英語の重要性、さらに時代の激しい移り変わりの中での新聞の果たす役割、最後に卒業生として受けた天高の教育と今後に望むものについてふれられました。
その後質疑応答に移り、同期生の方やホッケー部の現キャプテンの質問に丁寧にお答えいただき、1時間半の講演会が終了しました。
その後脇阪さんから頂戴したメールによりますと、翌日早速関空からジャカルタに飛ばれ、10日間東ティモール状勢の取材をされるということです。お忙しい中、時間を割いてご出講いただきましたことにあらためてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
「桃陰文化フォーラム」今後の予定
平成19年度は、後二回予定しています。
本年10〜11月に日本を代表するシャンソン歌手の出口 美保さんのコンサートを、また来年2月ごろに講演会(講師は現在検討中)を開く予定です。同窓会HPで毎回お知らせしていますので、卒業生の方もふるってご参加くださるようお願いします。
<参加者の声>
- 新聞は毎日の生活の一部になっています。子供も中学3年生になってからは、毎日すみずみまで読みあさっています。新聞好きになり、部屋には、新聞が(夕刊のみ)多量に山積みになっています。同じ東住吉中学校出身でよりいっそう身近な方に感じました。
- 講演のためにプリントまで用意されていて正直驚きました。真面目な方で、誠実に人と向き合っていく気持ちがなくては記事も書けないのではと思う。そんな真面目さを感じました。
- 私は新聞が好きで家では朝日新聞をとっているので毎日読んでいます。今日はずっと興味があった新聞記者の仕事や生活を垣間見ることができて良かったです。語学や専門分野を作った方が良いというお話も参考になりました。
- 新聞記者の仕事がよくわかった。外国に行きたいと思った。
- 言いたいことを整理することの大切さがわかった。
- 東南アジアの地雷のお話がとても印象に残った。今までテレビや新聞などで見聞きしたことはあったものの実際にそれを作る側の人の視点の生の話を生で聞くのはもちろん初めてだったので、驚きや「へぇー」という部分が多かった。また、質疑応答の時の他国の教育の環境についてや文化・感覚の違いがおもしろかった。
- 私も同時期に東南アジアに滞在しておりましたので、東南アジアの写真をまじえた状況がとても興味深かったです。
- 10年間もの地道な下積み時代、はりつめた生活を強いられ常に正しい判断をせまられながらの海外特派員時代の数々のエピソードをうかがいました。これらを乗り越えられた原動力は天高で養われた強い精神力ということで、子ども達もこの校風を受け継いでほしいと思います。
- とても人間味のある講演を聞かせていただきありがとうございました。息子も55期でホッケーを3年間やっていたのですが、あんな下向いてどこが楽しいかと母親は不思議でしたが、今日お話を聞いて何事も最後までやり遂げることがこれからの頑張りにつながるんではと思いました。
- 将来、メディア関係の仕事に就きたいと思っているので、とても参考になりました。
- 実体験に基づく話が豊富で参考になった。
- 日常の中に埋没していますので、非日常(私にとっては)の香りに触れることができて有意義でした。
- 私たちの生活から切り離せない新聞。その記者生活の裏側を興味深く聞かせていただきました。
- 息子が朝日新聞をこの春受験し失敗しましたが、「熱意と専門が大事」というのをお聞きしましたので、伝えます。脇坂先生の記者としての熱意が感じられました。
- 見せていただいた中で心に焼きついていて離れない写真が1枚あります。カンボジアの子供達が地雷の前で立っている写真です。あんなにもたくさんの地雷の前ですました顔で立っているようにも見えたけれど、あの子供達の心の中には暗くて思い感情が渦巻いているような気がしました。もしかしたら、あの地雷で彼らの友達が、親が、知り合いが傷ついたのかもしれない。外からでは決して見えない。まして、違う国に住む私達に彼らの心の中の暗い部分はなかなか読みとれない。新聞記者とは何も知らない私達を遠い国の子供達の心に、広い世界の一部分に触れさせてくれる。そういう職業だと今回、強く感じました。
- 身近にいない私にとっては特殊な職業のお話を聞けておもしろかった。1時間というのは短くてあっという間の時間だったように思います。話だけではなく、写真を見ながら…ということでしたので、より内容が強く心に残りました。
- 単に話される事のうしろに"知りたい、伝えたい"という強い思いを感じました。また、仕事は一人でするものではなく、後ろに必ず優秀なアシスタントがいるという話が印象に残りました。それには天高教育に望むもののところに書かれていた事がとても大切な事で、その教育を連綿と受け継いでこられている天高の教育の伝統に大いに期待するものがあります。メディアの発信を受け取る側の者として、目に見える映像のみならず、その後ろにあるものまで見よう、受け取ろうとする姿勢と、活字から読みとれるもの、それを基本として考えていく事を大切にしたいと思いました。
- 天高時代の運動会の写真などを見せていただいてONとOFFの切り替えをきっちりされた学生生活を送られていただろうと感じました。新聞記者という職業をあまり身近にとらえる事ができていなかったのですが、脇坂先生の話を聞いて今更ながら、新聞ができるまでの流れや改めて人間一人一人が作っているという実感が沸きました。30年以上前の通信設備と現在の通信設備…急速な進歩の中で、新聞編集の処理能力は変わっていっただろうと思われますが、地道な取材は昔も今も変わりなく、大変なお仕事だと興味深く傍聴させて頂きました。
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