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1月28日(土)午前10時から視聴覚教室において第25回「桃陰文化フォーラム」が開催されました。
京都大学名誉教授の作花済夫先生による「開高健の天王寺中学〜悠々として急げ〜」と題する講演会でしたが、大先輩に敬意を表して吹奏楽部有志による「天中校歌 黄塵はるか」の歓迎演奏という初めての試みで幕を切りました。
先生は冒頭こうしてお話しできることを光栄と思うとともに感謝していると述べられ、次に開さんの代名詞とも言うべき「悠々として急げ」という名文句について、これは開が純粋に生み出した言葉ではなくローマ初代皇帝アウグストゥスの「Festina Lente」(急げ ゆっくりと)から来たのだろう、それをこのように訳し、自分自身のモットーとしていたろうと言われました。
さらに本題に入り、開とは同級(1年2組)だったこと(3年次、5年次も同じクラス)、彼が級長を務めたこと、二人とも体が小さかったのでマイ・ペースでやれる体操部に入部、開は側転が得意だったこと、入学直後の5月父が亡くなり、一家の暮らしを支えるためその後アルバイトにも精を出したこと、太平洋戦争中で食べ物がなかったこと、勤労動員が始まり貯水池作りや逓信病院の事務作業、稲刈りなどに従事したが、そこで一般庶民の正直な生き方、ものの考え方に触れ学んだこと、それが後の小説の仕事に反映されていること、「桃陰百年」にも掲載されていますが、勤労動員時同級の鈴木君が亡くなった衝撃の大きかったこと、上級学年になり文学熱が昂じ、書物がたくさんある友人の家でさまざまな本を読んでいたこと、外国語(英語・ドイツ語・フランス語)の勉強にも励み、原書で読むことも多かったこと、フランス文学ではアンドレ・マルロー、ジャン・コクトー、ルイ・アラゴン、サルトルなど、イギリス文学ではデ・クインシー、オスカー・ワイルド、ロレンスなどを読むことを勧められたこと、卒業後壽屋(現サントリー)に入社してから地下鉄でばったり会ったとき、「作花よ、BR>五年待ってくれ。」と言われたが、それが後になって芥川賞を取ると内心思っていたのだと分かり、照れ屋の開らしいと思ったことなどを語られました。
そして、念願の芥川賞受賞作の「裸の王様」の中で描かれる川遊びの場面は、幼児期の今川での遊びの経験が反映しているのではないかとの仮説を提示され、最後に開は作家になるという大目標に向かい、早くから努力していたこと、受賞後一時目標を失った時期もあったが「初心に戻り」大作に挑戦しさらなる飛躍をしたこと、この世の中のあらゆる事象(政治・社会・戦争から旅行・釣り・家庭生活に至るまで)に興味を抱き、関心を示したことに感服していたと結ばれました。
開さんが先生にとって友としてかけがえのない存在であったことがよく伝わり、同じ時間を共有し、同じ時代の空気を吸った同級生しか語ることができない偉大な作家の人となりが浮き彫りになるようなお話でした。作花済夫先生に心よりお礼を申し述べます。ありがとうございました。
また、寒い日であったにもかかわらずお集まりいただいた先生と同期の天中50期生の方々、在校生諸君、保護者の方々、受付等でお世話になったPTA文化委員、演奏をしてくれた吹奏楽部のみなさんにもお礼を申し上げます。ありがとうございました。
なお、参加者は教員も含め60名弱でした。
<参加者感想(一部抜粋)>(生徒)
<参加者感想(一部抜粋)>(保護者)