桃陰文化フォーラム事務局
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平成18年7月1日
第7回 桃陰文化フオーラム
<アサヒスーパードライ物語>
~一人の天高生のサラリーマン奮戦記~
◇講師 松井 康雄 先生
天高9期生。1938(昭和13)年大阪市に生まれる。1961年大阪大学法学部卒業。朝日麦酒(現アサヒビール)入社。1976年本社営業部商品販売課長。77年営業部清涼飲料課長。85年マーケティング部副部長。86年マーケティング部長。88年スーパードライのヒットで社長賞を受賞。89年取締役。91年常務取締役。96年専務取締役。アサヒ飲料専務取締役。2000年アサヒビール食品社長。02年アサヒフードアンドヘルスケア社長。05年アサヒビール社友。現在芝浦工業大学議員・理事 事業法人エスアイテック社長。著書に「たかがビール されどビール ―アサヒスーパードライ、18年目の真実」がある。
公演内容詳細
- 1985.9~1991年の5年半、マーケッティング実務責任者
- 自然科学と異なり、経営、マーケッティングは、TPOが変われば、同じにならぬ。同じことやっても同じ結果は出ない。そのかわり、千年前、2千年経っても教えられることがたくさんある。日本の知性の最高峰が孔子や孟子を読み、聖書が読まれている。
- 経営、マーケッティングではまず戦略をたてる。戦略構築は知識で可能だが、成果は、知恵レベルの具体的アイデアであり、そのためにはビジネスの本質を細部まで知っておかないと具体的アイデアは出てこない。
- 日本のビール戦争は、’51年に始まる。’51アサヒ35.3%、キリン29.3%。’85アサヒ売り上げ5倍になったが、9.6%までシェアは下がった。一方キリンは、’76年63.8%のシェア。 ガリバー型寡占業界。 1:3 業界構造。独占禁止法で分解論も出た。
- アサヒは、業界初の缶ビール、ギフト券、2~3リットル瓶、を送り出していた。
- アサヒは、生ビールに力をいれた。当時、生は特定のところでしか飲めなかったため、いつでもどこでも生ビールという状況でなかった。消費者は生であればどこのものでも良かった。生ビールの世界では銘柄格差がなかった。また当時の消費者は、ビールの爽快さ、のどごしの良さを求めていた。熱殺菌したラガーに対して、いつでもどこでも生ビール供給しようと言うのが力を入れた理由。
- しかし、各社競って生ビールの新製品を送り出すも消費者は評価せず、’85まで、この傾向が続き、キリンの一人勝ち。量が質を変えて行っていた。
- 実業の世界では、質が量を変える言うことはあまりない。量が質を変える現象は、損益計算書に如実に現れる。
- たとえば、キリンは売れることにより、あっという間に超優良企業に生まれ変わっていく。
- ところが、アサヒは、売り上げ伸びても利益が出ないので、コストダウンに取り組むことはもちろんだが、効率性を求めて工夫していろんなことをやる。そのうち、資産の切り売りをして決算をするようになる。’80、,81には数百名の指名解雇をせざるを得なくなった。
- 今でこそ、リストラをやり、利益を出るようにした経営者は、証券業界から拍手されるが当時はそうではなかった。従業員の首を切るのは恥と言われた時代。
- そういう状況の中で、従業員、経営者も閉塞感の中で頑張ってきた。
- そこで、当時の経営者は、我々の力だけではうまくいかないので、社会の人の知恵を借りようと、コンサルタントの導入を決めた。世界のトップクラスの導入を決めた。コンサルタントはすぐにプロジェクトチームを作り、徹底的にアサヒを調べ上げ、膨大な報告書を出した。そのエッセンスは、今の味、品質ではだめ、名前も変えたらどうか、こんな営業政策では得意先が離れるというものであった。どうすれば良いかとの問いに、消費者調査をし、消費者が喜ぶビールを作れという答えであった。コンサルタントを採用した最大の理由は、具体的な解決策が欲しかったからであるが、批判はいろいろするが、解決策は自分で見いだしなさいというもので、コンサルタントの導入は失敗に終わった。
- そのうち、社長が交代し、銀行から来た社長が就任。100年も続く企業に、従業員の心を一つにする価値観がない、経営理念がないのはおかしいと指摘。’82経営理念が作られた。しかし、うまくいかず、外部の専門家によると、企業行動とギャップが生じており、経営理念がお題目に終わっているという指摘を受けた。
- そこで、CIの導入が提言された。
- ’84、CIの導入準備に入った。米国で開発された経営手法で、ある時を期して、あるべき姿に変身するための経営手法と考えている。新しい価値観を企業、従業員が自己確認し、外部に向かって宣言し、毎日の企業活動の中に実践することにより飛躍的に企業の業績を改善して行こうというもの。まずは悪いイメージを捨て、いままで使ってきたシンボルマークを捨てる。新しいシンボルマークを作って、それを核にあたらしいイメージ形成をはかり、業績を改善しようと言うものだった。
- <しばし、略>
- 清涼飲料担当の責任ある立場の時、社長賞を受けたが、製造現場との衝突もあった。
- アサヒの発祥地、大阪支店へ転勤後、努力しても、業績あがらず、もう一度、白紙からマーケッティング戦略の構築をやり直す必要があると考えた。
- 社内の常識、自分の思いこみを捨て、一からビールビジネスを勉強し直そうと考えた。
- 成果というのは、具体的な知恵のレベルでのアイデアであるといったが、そのビジネスの本質のみならず細部に亘るまで知っていないとなにも出来ない。商品理解、消費者理解、チャンネル(販売する人々)理解を徹底してこそ、初めて具体的アイデアが出る。(持論)
- 徹底的に他社のビールを飲み比べた。 技術屋に負けないくらい製造部門を勉強した。原料、心理学、消費者理解のため購買動機理論や不買動機理論、色彩学、味覚生理学、さらにはチャネルの方々の販売行動なども勉強した。(約一年)
- また、これまでのアサヒのマーケッティングの歴史を多面的に点検した。社史はどの会社もそうだが、美辞麗句ばかり、良いことばかり。日本の歴史もそのときの権力者が都合の良いことばかり書いており、注意深く読まないと、その通りでない。
- ’84の秋、3つの仮説と、それに基づくマーケッティングビジョン(目標像)を設定した。
- 次に、マーケッティングビジョン、目標を具体的に実現するための戦略構築を、翌年の春、完成させた。
- 仮説の内容は、
①人気:「ビールが売れるか売れないかは人気である。」
- 人気があるというのは、指名継続購入をしてくれる人が多いということ。指名継続購入するのは、その人にとってウマイから。味覚生理学的表現を使うと、そのビールを飲んだときに生理的快感を感じるからである。決してイメージだけで飲んでいるのではない。人気のあるビールとなるためには、指名継続購入してくれる味づくりが決め手である。」という仮説を立てる。この仮説には、実は問題がある。当時のビール業界、社内の常識では、「消費者はビールの味がわからないのではないか」といわれていた。なぜだかというと、「目隠しテストをしても当たらないではないか。消費者は、みな同じように見えているのではないか。」と言われていた。じゃ、なぜキリンビールだけがこんない大きなシェアを取っているのか、それはキリンがイメージで売れているから。なぜ、イメージで売れているかというと、ビール戦争が始まって5,6年経った頃、キリンビールだけがイメージの確立が出来た。当時、ビールをよく知っている人、ビール通が、好んで、ホップが利いた中身の濃いビールを飲む。それはどこのビールかというとキリンビール。要するに、通はキリンを飲む。通は、ビールを好んでたくさん飲む人。その人たちが飲むビールは、良いビールなんだ。だから、キリンは良いビール。同じビールを飲むならキリンを飲みなさい、となっている。だから、キリンは売れていると言うわけ。
- これは、評判とか、イメージで飲むのは、マーケッティング的な言葉、抽象的な言葉で言うと、心理的品質優位型の商品であるという考え方である。それに対して、私の仮説は、そうでなく、その人が本能のレベルで生理的感じるような味だから継続飲用してくれる、だから売れるんだ。これは別な言い方をすると、物的品質優位型の商品という考え方である。当時の常識とは全く対立する考え方であった。
②2番目の仮説は、「ビールのマーケットシェアは、ヘビィユーザーが握っている。」
- 当時の外資系の広告代理店が提供してくれたデータがある。ビールの先進国に共通するデータで、ヘビィユーザーと言われる人が10%おり、10%の人が全体の50%を飲んでいる。ミドルユーザーも10%おり、そのミドルユーザーがなんと全体の25%を飲んでいる。ライトユーザーが全体の50%おり、その50%が全体の25%を飲んでいる。3割は飲んでいない。このことは、当時の日本のビール業界に当てはまる。アサヒが支持されるためには、このヘビィユーザーに支持されないとだめだ。この仮説を採用すべきと考えた。
- これも当時の社内の大勢とは違った。当時、次のように考えられていた。「日本の経済が急速に立ち直り、消費者の可処分所得がどんどん増える。すると、冷蔵庫が普及、清涼飲料やビールがどんどん入ってくる。ビールの飲み方、飲まれ方が変わる。特定の時にしか飲めなかったのが、いつでもどこでも飲めるようになった。これからのビールは気軽に水替わりに飲むようになっていくだろう。その証拠に、女性がどんどん飲むようになった。」こういう風にいわれていた。特定のヘビーユーザーに焦点を合わせるのはだめだ、これからはもっとみんなが気軽に飲めるようにかえていくんだ。これが当時大勢だった。この仮説も社内の概念とは対立するものであった。
③3番目の仮説は、「消費者の味覚は、世代によって異なる。世代別の構成比の変化が大きなリノベーションのチャンスを作り出す。今そのときが来た。」という仮説。
- 南日本放送の重役がある専門誌に、論文を掲載。その論文に着目、ドイツの心理学者レビンによると、人間は20歳までに、肉体的、精神的に完成する。その20歳までにどのような経験をしたかにより、その後のビヘイビャーが決まってしまう。味の話に絞ると、20歳までにどんな味覚体験をしたかによって判断基準が決まる。同じ世代は、同じ味覚体験をしているから同じようなうまさの判断基準を持っている。その世代が、マーケットの中でしめる比率が変化することによって、大きな変化が起こるとういう考え方である。
- 早速、動態人口のデータを集めて加工した。4つのグループにわけた。
第1世代:明治、大正、 人口比:13% 20歳以上の人口比:18.7%
第2世代:昭和元年から19年、 25% 36%
第3世代:昭和20年から34年、 31.5% 45.3%
第4世代を昭和35年以降にわけた。 30.5%
- このデータの意味は、「通のビールはキリンビール」の神話を作ったのは、第1世代。その世代が、いまやビールマーケットの中で、20%を切るようになる。明らかに味覚体験の違う戦後世代の人たちが、明治大正とは違った味覚体験をしているはずの第3世代が45。3%。しかも、これからは、第4世代がビールマーケットに入ってくる。これは大きなチャンス。新しい世代にフィットした味づくりをしたならば、新しい世代の人たちは反応してくれるはず。
- 以上の3つの仮説と、これまでの私の学習体験から、ひとつの結論に到達する。
- アサヒビールがビール業界で、明るい展望を持つためには、キリンビールとはひと味違った新しい味を提案し、新しい味が消費者に受け入れられる。新しい味を好んで飲む人たちが、これからのビール通と呼ばれる状況を作らない限りだめである。あと、どんなプログラムで、どんなスケジュールでそれを市場に展開するか。
- 「味でビールの流れを変える戦略がアサヒには必要だ。」という結論になる。
- 勝てる戦略と具体的アイデアも出来た。しかし、会社の企業行動でやるためには、ちゃんとした手続きを経て、経営会議で議決をしないと企業行動にならない。そういう作業を出来るのは特定の人。会社というのは、原則禁止の世界。各種規定、就業規則等で、役割分担が決められたチームワーク集団が会社。自分が所属するポジションの仕事はどんどん出来るが、ひとのポジションの仕事を自分がやることはできない。戦略構築をするということと、戦略を企業行動として展開することは、次元が違うこと。当時、そのポジションは、マーケッティング部長であった。当時、8歳年上の役員であった。その人しか出来ない。
- ’84、CIを導入することがきまり、シンボルマーク、ラベル、ひいては味も変わる。味とラベルを切り替えるという。こんなことは、金もかかるし、こんなことは滅多にないこと。
- サントリーに追われ、会社の存続がかかった時期であった。
- 思いあまって、会長に直訴した。
- 結果、経緯があって、副部長になり、また、その後、部長として実務責任者となった。
- 部長となって、直ちに大阪時代に構築した戦略の具体化に取り組んだ。戦略構築の時に、よくものの本には、戦略を考える時には、4つのPで考えなさいとある。
- Product(商品), Price(価格), Place (どこで売るか、Channel), Promotion(広告宣伝を含めた販売促進活動)、の4つのPで考えなさいと言われる。
- 私流の考えでは、3つの切り口で考えることにした。
- ① 商品戦略 : 中核の商品コンセプトは私流、「だれにどのような効能,効果をどういう仕掛けで、いくらで提供するか」。ここまでが私の商品戦略。価格戦略を商品戦略の中で考えることにしている。
- ② 情報戦略 : 自分のお金で情報発信する事を広告と言う。プレスリリースで、プレスに情報を渡すことを広報という。メディアは、それをニュースとして流してくれる。3番目にわたしは、試飲を情報戦略に入れた。一般の人はこれを販促に入れる。味でビールの流れを変えるのだから、味を消費者に知ってもらうに一番いい方法が試飲。特に、キリンと一緒に飲みながら、今度のビールがどうかとやってもらうのが一番確かな方法。だから、試飲も情報戦略の一つに組み入れようと言うのが私の考え方。
- ③ 営業戦略 : いつでもどこでも消費者が、アサヒビールが飲みたい、飲めるようにする、飲みたいときに飲めるだけ飲めるようにするための、すべての活動。これを営業戦略。
- 別の言い方をすると、商流、物流、販促、この3つの切り口でいつも考えている。
- と同時に仮説を持っていて、この3つの切り口はそれぞれ同じようなウエイトで考えないとだめ。重要度は同じ。ものを作っただけではものは売れない。3つの考えを相乗効果が出るように考え、相乗効果がでるように展開する必要がある。これを私は、トータルマーケッティングと呼んでいる。トータルマーケッティングをやることにより、はじめて商品の持っているポテンシャル通り商品が売れる。戦略構築するときには、いつもこの3つの切り口でやる。
- 作業するときには、3つの切り口で考えたことを具体化する。その作業の秘密が漏れないように、ニックネームをつける。
- マルF作戦とつけた(Fortunate 作戦では、長すぎるので。失敗すれば会社をつぶしてしまうので幸運を祈った)。
- 以下、具体的な戦略について:
- 商品戦略
- 「新しい商品コンセプトに基づいて、新しい商品をつくる。」と言うのが基本的な考え方。今までのアサヒビールは、テクニカルシーズ開発型、すなわち技術のアイデア、いわゆる技術サイド、生産サイドの人たちが持っている知見に基づいて新商品をつくっていくやり方。最終、味、あるいは品質を決めるのは技術サイドの人間。
- それに対して、私はWANTS 開発型でやった。それは、消費者の欲求を、意識のレベルと無意識のレベルに分け、意識のレベルをneedsといい、無意識のレベルをwantsと言う。意識のレベルはアンケート調査等の消費者調査で簡単に数量化、調査出来る。無意識のレベルwantsは、調査してもわからない。wantsは商品開発する人間の仮説である。今回の場合、仮説をマーケット部が考え、仮説に基づいて商品コンセプトをつくり、その商品コンセプトを具体化する。
- 営業サイドのマーケッティング部の我々がコンセプトをつくり、これを生産サイドである、当時の生産プロジェクト室に渡す。彼らは、それを代用特性値というが、これに数値化する。別な言い方をすると商品設計する。できあがった設計書を研究所に渡す。研究所の新商品開発グループが設計書に基づいて、自分たちのうんちくを傾けて具体的に試作品をつくる。できあがった試作品を、今度は、マーケッティング部と生産プロジェクト室と研究所と三者で評価して、コンセプトどおりつくられているか、コンセプトどおりにつくるにはどうしたらよいか、具体的に話し合って、最終的にものを作っていく。
- 従って、コンセプトに忠実に作ろうと思えば、マーケッティングサイドの意見が優先するのだから、品質、味、これにマーケッティング部が最終権限をもった。これはとんでもない変革である。メーカーの会社の技術サイドが、いままで最終決定権を持っていたのを、今度はそれを営業サイドのマーケティング部が持ったということは大変な変革である。
- 世の中で、経営刷新をするとか、抽象的なことを言うと、なんかとんでもないことをするように見えるけど、実際の作業というものはそういうものなんです。そういうことをすることによって、実質的に大きく経営革新が進んでいく。
- じゃー、どんなコンセプトで商品開発をしたのか。新しいコンセプトはどんな内容か。
- 先程、私流の商品コンセプトは、「誰に、どのような効能効果を、どういう仕掛けで、いくらの値段で提供するか」と言ったが、全くそのとおり。
- ビールを大量に飲み、ビールをよく知っているビールのオピニオンリーダーであるビール通。このビール通と呼ばれる人に、何杯飲んでも飲みあきないと評価される味、それはどんな味かというと、クリアーな味である。もう少しわかりやすく言うと、雑味のない、洗練された風味。値段は今までのビールと同じにする。これがコンセプトである。
- ビールを洗練化する、ビールの味を洗練化するというのは、どういうことか。要するに「クリアーな味にするというのはどういうことか」、ということです。
- ご存じのように、ビールは醸造酒で呼ばれる。醸造というのは、人間に都合の良いのは醸造とか、発酵という。薬業界では、発酵という手法をどんどん使う。人間に都合の悪いのを腐るという。何のことはないビールは腐らせて作る。だから、ビールというものは、腐って、どろどろして濁っている。それを人間が飲んでいる。不快感を感じるものをどんどん取っていく。そして快感を感じるものだけを残す。こういう作業をした味が、クリアーな味であると私は名付けている。
- 味覚生理学的に言うと、人間の味覚というものは、人間の生命の維持をするのに都合の良いように、食べるという本能をコントロールする生理現象だという。
- 生理的快感を感じるもの、うまく感じるものはどんどん食べなさい。しかし、生理的不快感を感じるもの、まずいと感じるものは食べるのをやめなさい。これを本能のレベルで刷り込まれている。それが味覚。
- ビールを語る言葉に、いろんな言葉があるが、中心になる言葉が、五味という言葉がある。「甘い、辛い、酸っぱい、しょっぱい、苦い」である。その中で、苦いと酸っぱいというのは問題がある。苦い、酸っぱいというのは、許容範囲が大変狭い。それが証拠に、生まれたての赤ちゃんに砂糖水を持っていくときちっと吸うが、しかし、苦い味、酸っぱい味を口元に持っていくと絶対口の中に入れさせない。なにも知らない赤ちゃんがそれをやると言うことは、本能のレベルで刷り込まれている。そういう情報が刷り込まれている。
- ビールというのは苦みを特色とする飲み物。消費者が生理的に快感を感じるような苦みのビールだったらウマイと感じる。まだ飲むならこのビールにしようとなるが、その人にとって不快感を感じるような苦みのビールだったら本能のレベルで拒否する、そういうような効能効果があるわけだから、当然拒否反応が強い。自分の口に合わない苦いビールはいやだ、となる。そんなビールは継続飲用してもらえる訳がない。
- ビールを洗練化する作業の第一の目的、目標は、消費者が生理的快感を感じるような苦みにすると言うことである。それは苦みの質と量の問題である。
- 二番目の洗練化するポイントは、においである。日本人はにおいに弱い。一般論として言えることは、緯度が高くなるとにおいに強くなる。緯度が低くなるとにおいに弱い。日本の食生活を見てみると、ずいぶん洋風化したものの、ほかの国の食べ物と比べるとにおいが少ない。香りと行っても良い。よくハーブドレッシングというものがあるが、海外へ行くとハーブドレッシングのかかったサラダが出てくるが、臭くて日本人には食べられない。しかし、向こうの人は平気。白身の刺身を食べるのに、臭いやつはだめだ。だから「出来るだけにおいを取っていく。」という考え方である。
- 結果的に、スーパードライは世界でも珍しいくらいにおいのないビールだと思う。
- 三番目は、醸造酒特有の、ベトベト感、どろどろ感を取らないとだめだということ。日本酒の世界に、甘口、うま口、辛口という分類の仕方がある。ワインの世界も、辛口、中辛、甘口という。日本酒も、ワインも、ヘビーユーザーは辛口を好む。それと同じで、ビールを大量に飲むためには、やはりさらさら感が必要。ベトベト感、どろどろ感はだめだ。これをどうやって取るか。これが一つのテーマである。
- 今申し上げたこと、これを取っていけば行くほど、限りなく水に近づいていく。ところが、アルコール飲料も、ほかの飲料も、水っぽく感じるのは薄いなーと感じる、必要以上に薄いなと感じると、消費者は値打ちがないと思ってしまう。こんな薄いものはだめだ、水っぽいものはだめだ、と。それはこれまでの消費者調査ではっきりわかっている。水っぽい、薄井という感じを残さないで、快感を感じるようなものにしていく。これがポイントになる。
- クリアーな味というのに、いくつか問題がある。当時は、ビールやお酒を語る言葉に、クリアーという言葉はなかった。なかなか使われていなかった。
- 身もこころも新しいビールを作りましたと消費者にいっても、それは一言で言って、どんなビールと問われた時、「クリアーな味のビールです。」といっても、消費者が使わない言葉ですから、消費者はなかなかわかってくれない。コミュニケーション効率がものすごく悪いと言うこと。
- <レーベンブロイのエピソード省略>
- 社内でも、クリアーって何かと問われた。社内でも使っていなかった。クリアーと言う言葉は、効率が悪く、こちらの思っていることが消費者に伝わらない。そこで、言葉をおきかえることにした。良い言葉が見つからず、次善の策で「クリアー」を「キレ」という言葉に置き換えた。ところが、キレという言葉は、消費者調査でわかっていることは、薄いという認識、イメージが付いてまわる。
- ところが、われわれは、ホップの効いた中身の濃いビール、キリンビールに戦いを挑むわけですから、キリンビールを飲んでいる人に今度の新しいアサヒビールはどんなビールと問われたとき、「クリアーな味」がわからないから「キレ」のあるビールですと言ったら、ちょっと薄いなと思われたら、もうキリンビールを飲んでいる人は新しいアサヒビールにチャレンジしてくれない。これでは最初から勝負が付いている。
- それではまずいので、やはり中身が濃いと言うことをはっきり伝えなければいかんなーということになり、「コクがあって、キレのあるビール」にした。しかし、ダサイ。
- これをわかりやすい言葉に代えようと、広告代理店のクリエイターに頼んだ。
- これで、持ってきたのが「コクがあるのに、キレがある」。時間がないので採用した。経営会議でもぼろかすにやられたが、専門家がこれで良いと言っているのでこれでやらせてくれと強引に押し切った。
- もう一つ、クリアーに問題がある。どの程度のクリアー度にするかによって、消費者が飲んでくれるかどうかが決まる。ましてや、ヘビーユーザーですから。今までホップの聞いた中身の濃いキリンビールを飲んでいた人に、どの程度のクリアー度にするかが、ひとつのポイントになる。
- もうひとつは、当時アサヒビールでは、味を変えることがタブーと言われていた。アサヒに限らず、嗜好品の世界、飲み物の世界ではよく言われる。ここに一冊の本がある。アメリカのあるビール会社の社長が書いた本で、タイトルが、「ビールビジネスで失敗する12の方法」。その中で二つ忘れられないのがある。ひとつは面白いコマーシャルを作ると話題になって、賞はとる。しかし、売り上げは下がる。もうひとつは味を変えると売り上げは下がる。アサヒビールでも、いま味を変えたらロイヤルユーザーがどんどん逃げていくぞ。味を変えるのは絶対反対だという人たちが営業サイドの中にも多かった。
- したがって、今あるビールからあまり急に味を変えてしまうと、社内でつぶされてしまう恐れがあった。時間もないし、消費者調査の体験から、簡単にVヤードのど真ん中を把握するのは難しいし、ほとんどありえない。
- そこでとった作戦が、クリアー度の違うやつを毎年ひとつづつ出すということ。具体的には、’86に「コクがあるのに、キレがある、アサヒ生ビール:まるF作戦」、第2弾は’87に「辛口の生ビールスパードライ:FX作戦」、’91に「キレ味抜群豪快ゼット:FFA作戦」の3つを出した。
- ラベルは新しいシンボルマークに基づいて、ラベルを作る。CIに基づいてシンボルマークの文字はもうできていた。ラベルを作るのはマーケッティング部の専決事項なので、ラベル製作に入った。経営会議で作戦が承認され、全国の事業場長を集めて、社長がCI導入宣言を行うとともに、’86の年次計画、切り替え作戦を具体的に指示した。
- 中身を見せたいし、ラベルを見せたかったが、中身はまだ飲ますことはできなかったが、ラベルは大体出来上がっていたので見せた。ところが、たった一人を除いて、みな横を向いた。というのは、嗜好品というのはイメージ商品だというのが基本的な考え方であるから、百年も使った太陽マークを投げ捨てるのはとんでもないやつだ。失敗したらこの会社つぶれるぞという人たちばかり。
- CIは賛成しておいて、新しいシンボルマークを作って、身も心も入れ替えてがんぼろうといいながら、新しいラベルには反対。要するに総論賛成、各論反対。
- CIを発表し、年次計画も発表したのに、事務局としては困り果てた。しばらくして、デザイン会社がこれでどうですかと持ってきたが、そのアイデアを見てびっくり。なんと捨てると決めた太陽マークが、小さく薄く入っていた。(今のラベルには入っていないが、切り替え当初には太陽マークが入っていた。)
- これを見て思う。CI理論に忠実になろうとすれば、とても採用できないめちゃくちゃなアイデアである。CIというのは、新しいシンボルマークを作り、古いものを捨てること。
- しかし、CI理論に忠実にならなくても、この新しい商品で勝負をかけるんだという社内を結束させることの方が大事ではないか。経営陣も状況はわかっていたので、承認され、このラベルでいくことになった。
- 情報戦略
- まず広告であるが、「味でビールの流れを変えていく」ということは、味で勝負するわけであるから、どんな味であるかということを、いかに正確に消費者に伝えるかが大事。
- 言葉で如何に商品特性を伝えられるか、これを「商品カタログ的広告」と呼んでいるが、これを徹底してやることした。
- それまでのアサヒは、どんな広告をしていたかというと、「イメージ広告」「ムード広告」というような感じ。業績が悪くなると、経費削減でどんどん広告費を減らされる。限られた広告を一番インパクトの強いやり方でやるのが、Visual
Scandal と呼んでいるが、TVであっと驚くような絵を見せて、インパクトのある、パンチのある広告になってしまう。当時そのようなショッキングな映像のコマーシャルをつくっていたが、そんなんでは、ビールのヘビーユーザー、オピニオンリーダー、ビール通には、そんなコマーシャルでは売れないよと、まじめに自分の商品特性を正確に伝えるような商品的カタログ広告をやろうと決めた。
- もうひとつは、「媒体ミックス」という考え方である。狙っているヘビーユーザーは、30代から50代後半の、ビールをたくさん飲むと同時に、オピニオンリーダーになれるような人。そういう人は、TVより新聞などの印刷媒体に接触する度合いが高い。その辺のデータは各媒体各社が持っている。新聞社などの媒体は、スポンサーに売り込むための資料としてデータをみな持っている。それを全部集めてみたら、はっきりしていることは、当時としては、新聞が、私が狙っているメインターゲットの接触率が一番高い。
- 当時の新聞は今と違って、全頁広告は週に2回程度。なかなか枠を取れないが、それに注目して、徹底的に新聞広告にウエイトを置く作戦を採った。もちろんTV広告もやったけれど、そういう媒体ミックスという考え方で、今までとは違ったオピニオンリーダーに合わせた商品カタログ的広告をやっていた。
- 三番目にやったことは、「広告は質より量だ」。広告は、量だ。へたくそな広告でも量を売っているうちに、それに親しんで、いい広告だと言うようになるんだという考え方を持っている。
- 高度情報化社会の中で、どんないい広告でも少ししか広告をしなければ、他の雑音のなかで消えてしまう。あるの量を超えた瞬間に、高度情報化社会の特性でみんなが知ってしまう。ある一定の量を超えることを、ノイズレベルを超えるという。ノイズレベルを超える広告をしない限り、やらないほうがましだという考え方を持っている
- 当時経営者に、来年広告費を倍増してくれといったらバカにされたが、最終的に経営者は勝負に出てくれた果、3年で広告費を9倍使ってくれ、売り上げは2.5倍になった。マスプロダクトは、売り上げが2.5倍になれば、広告費の9倍くらい軽いもの。35年間低迷していた状況から、反転上昇するためにはそれくらいの施策が必要だった。これはまさに経営者の決断であったと思う。
- 試飲作戦
- みんなに飲んでもらうのが一番よい。しかし、試飲が一番高い。TVは、円単位、銭単位で計算できる。人とのコミュニケーションをお金の単位で言うと新聞でも円単位、10円単位で計算できる。1回づつ飲んでもらおうと思うと、道頓堀の真ん中で女性に配ってもらって飲んでもらうと、一人当たり600円から700円かかる。工場見学してもらって、ちょっとゆっくりしてもらうと、1,000円くらいかかる。全員にやってもらおうとするととんでもない金がかかる。なかなか普通はできない。今までのアサヒも試飲会はそんなにやったことはない。今度は勝負だということでやることにした。’86年3月鹿児島を皮切りに、桜前線とともに北上し、最終的に100万人、全国110箇所で試飲会を実施。135mlの試飲缶を作って飲んでもらった。あたらしい味のビールを試飲で飲んでもらって、話題になったあと、自分のお金で飲んでもらう状況を作り出すという作戦。
- 営業戦略
- ものが売れなくなると、売り込みやすいところへ行って、条件付け販売をする。ということは、特定のところにはアサヒビールはたくさんあるが、だんだん売れなくなってくると、手を加えないところはどんどんアサヒビールは、消えてなくなっていく。こういう状況をわれわれはカバー率が減っていくという。
- ビールのように、飲みたいとき、買いたいとき、一番近いところで買うような商品を最寄品という。時計とか、宝石とか、皆さんが一番気に入ったものを買いまわるのを買回商品という。ビールはそうじゃなくて、最寄品、しかも大衆消費財、気軽にどんどん飲むような商品。そういう商品は、カバー率が高くないと商品力がつかない。売れなくなるとどんどんその商品が減っていく。減っていくと、売れない商品を扱っていることに後ろめたさを感じるようになる。扱っている人(Channelという)、酒屋さんがアサヒビールを扱うことを嫌がってしまう。こういう状況を「Channel障壁」と読んでいた。Channel障壁を壊さない限り、アサヒがどんなによい商品を作っても、消費者のところに届かない。届ける人が扱わない。これをなくすための作戦を立てる。
- この核になったのが、店頭試飲即売会。これまでは酒屋さんにパンフレットを配り商品紹介。
- 今回、我々は、味とラベルを変え、味でビールの流れを変えるんだから、味を知ってもらわねばならない。酒屋さんにも知ってもらわねばならないから、サンプリングはするが、それ以上に消費者に飲んでもらって始めて評価が変わるわけですから、店頭試飲会をやった。これも金はかかる。当時、酒屋は14~15万軒あったが、結果的に一万軒で実施。幸いにして酒類業界は免許制なので、クローズドマーケット。良いことも悪いことも情報は、瞬時に酒屋さんの業界には流れていく。こういう状況で、今度のアサヒビールは売れるぞと言う結果が出た。
- タブーへの挑戦だったので、総論賛成各論反対の、ものすごい異常事態の中で、経営トップのリーダーシップのもとに、強引に進める訳です。社長直結型の強引な仕事のやり方をしたので、このとき社内にたくさんの敵をつくった。そのため、その後足を引っ張られたり、頭をたたかれたり、いやな目に遭うが、後悔もしないし、反省もしない。あのような異常事態の中で、「あいつはいい男だなー、俺の意見を採用してくれた」のような調整型の仕事をしていては、味とラベルの切替作戦は中途半端に終わっていたでしょうし、また少なくともスパードライは生まれていなかったと思う。かなり思い切ったことをやった。
- ’81年2月発売し、これが受け入れられて、その年業界ナンバーワンの**率を達成し、シェアーは9.6%から10,1%に跳ね上がった。
- 翌年、FX作戦、これがスパードライですが、商品コンセプトが同じでありながら、クリアー度の違うものを順次出すというものです。クリアー度を高めた商品を出した。クリアー度を高めることによって、イメージ的にも、物的、品質的にも、水っぽい、薄いと言う感じを与えないため、アルコール度数を4.5%を5.5%に高めた。そのために酵母を変え、原料を変え、製造の仕方も変えたけれど、具体的アイデアとしてはアルコール度数を変えることだった。
- ヘビーユーザーに徹底的に絞り込んだパッケージをつくった。黒と銀のパッケージをつくった。当初、葬式ラベルと言われたけれど、結果的には受けた。
- コマーシャルの方もヘビーユーザーに徹底的に焦点を絞った。激しいビジネスで、ちょっと一息ついたときに飲むようなビール、酒好きイメージの強いビール。そういうような語り口に徹底的にした。というのは、アルコール飲料で一番売れているのをカテゴリー別にみると、男性イメージ、大人のイメージ、本物イメージが圧倒的高い。キリンビールは圧倒的にそのイメージが強いので、これを逆転しない限り、ヘビーユーザーはわれわれの商品を飲んでくれないと思っていたので、そういう語り口に変えていった。
- それと同時に、キリンビール陳腐化作戦。これまでのビール通はキリンビールを飲んでいたかもしれないが、これからのビール通はあたらしいスーパードライを飲むんですよ、というのをストーリー展開していく。
- こういう風に広告宣伝面でも変えたし、営業活動の場合、徹底的に店頭試飲即売会をした。最初の店頭試飲即売会は、チャネル障壁を壊すのが目的だったが、今度のスーパードライの店頭試飲会は、他の商品との差別化を実感してもらう。そういう店頭試飲会に変えていった。当然、一般消費者に対する試飲作戦も同じように、情報戦略の一環として、引き続き実施した。
- FX作戦にはこんなエピソードがある。新しい商品を開発するときに、ひとと金を使ってやるためには、開発委員会(経営会議メンバーに開発に従事する部長入れた会議)があり、ここで了承をとらないと、商品開発ができない。’86年3月、委員会で簡単にだめだと言われた。最初に提案したときどう言われたか。技術サイドは、「辛口のビールなんか聞いたことがない。作れるわけがない。売れるわけがない。止めてしまえ」、営業サイドは、「主力商品が、今うまく切り替わろうとしているときに、そんなに似通った商品を出したら、食い合いを起こす」。つぶされそうになったので、方針変更し、商品の開発だけをさせてくれと頼み込んだ。実際にできた新商品を飲みながら、発売するかどうかを決めてくださいと頼み、首の皮一枚でつながった。その後、試作品として中間報告で飲んでもらうが、なかなかOKが出なかった。しかしようやく了解を取り、100万箱だけよいから売らせてくださいと頼んだ。食いあいが一番少ないであろう首都圏でやらせてくれとお願いした。東京、千葉、埼玉、神奈川だけでやらせてくれと頼んだ。TVエリアは、関東だけでなくもっと広く、最終的に関東TVエリアで販売することになった。ところが、発売即品切れ状態になった。発売地域以外のところから、経営陣にぼんぼん電話がかかってきた。「うちにも売らせろ」と。「長いことアサヒと付き合っているけど、こんな現象始めてや」。こうなると、経営者はがらりと態度を変え、発売後1週間後の経営会議で、全国展開が決定され、大増産の支持が出た。おかげさまで、スーパードライは1350万箱売れ、スーパードライが出るまでの25年分(1,340万箱)を一気に1年で売ったことになる。シェアーは、10.1%から12.7%になった。
- 2年目、他の3社も無視するわけにいかず、ドライタイプのビールを出し、それが世に言う「ドライ戦争」。マスコミが騒ぎ立てるから、消費者は試飲でなく、自分の金で飲むようになり、買う社のビールを飲み比べ、たった3ヶ月でけりがつき、アサヒの一人勝ち。こうなるとスーパードライ特化作戦に変わる。毎年クリアー度の変わる戦略はすっ飛んだ。その年、スーパードライは、7,500万箱売れた。1,350万箱から、7,500万箱。前年比556%。全体の売り上げも9,000万箱を超え、シェアーも一挙に、12.7%から、20.1%に上がった。この時点でサッポロビールを追い抜き、第2に躍り出た。
- こうなるとキリンがあわて、このまま放っておくとスーパードライにやられてしまう。キリンの新しいアイデアを出して、スーパードライから消費者を引き戻そうと、フルライン戦略を打ち出してくる。一気に4種類のビールを出した。アサヒは、そのままスーパードライ特化作戦を継続した。フルライン戦略を出したときにキリンはどう言ったか。「今までだったら、ビールといえば、キリンラガーだったけれど、キリンビールはほかにもいろんな新しい味を作ることができるんです。4種類のビールを一度飲んで、一番おいしいビールをこれから飲んでください。」と。これは大変な意味を持っている。今までは、ビールといえば通の飲むキリンラガーだった。心理的品質優位型の商品。ところがキリン自ら、そうじゃない。あなた方の口に合うビールをどんどん飲んでください。物的品質優位型の商品ですよと言い出した。「ビールといえば、キリン」という神話を、キリン自ら叩き壊した。典型的なミスマーケッティングであった。典型的な自己崩壊を起こした。私が、物的品質優位型の商品ですよといっていたことをバックアップしてくれた。その結果、スーパードライ特化作戦を採っていたアサヒは、さらに大きく伸び、前年比140%。とうとう夢の1億箱をこえ、シェアーも20.1%から24.2%にまで上がった。キリンは残念ながら、101%。シェアーは48.8%、失敗に終わる。’96キリンラガーを生ビール化し、同時にダイナミックに味を変えた。その結果、自分たちの志と異なり、ロイヤルユーザーが逃げ出し、そして翌年’97年アサヒのスーパードライは、キリンラガーに、3,620万箱という大差をつけて、日本一のブランドになった。
- 2005年の年末時点で、アサヒとキリンで、約1億箱の差をつけて、いま一番日本で売れているビールである。
- <まとめ>
- マーケッティングにしろ、経営にしろ、「戦略論は、教養、知識のレベルでできる。しかし、その成果は、具体的な知恵のレベルのアイデアである」。という持論を理解していただけたでしょうか。
- 具体的な知恵のレベルを出すということは、そのビジネスの本質のみならず、細部まで知っていないとだめですよ。要するに、商品理解、消費者理解、チャネルの理解をしたその上で、クリエイティブ能力を発揮して、オリジナリティのあるアイデアを出す必要がある。
- しかもそれは誰が見てもわかるような、論理的に理路整然と組み立てなければなりません。そうでないと、周囲の人の賛同を得られない。しかし片一方で、誰でも知っている、誰でもやっているというようなレベルでは商戦には勝てません。
- 理を超えたところに勝機はある。理を超えたところにあるということは、これは論理の飛躍であり、仮説の構築が必要ですよ。ということになると、オリジナリティのあるアイデアというのは関係者が全部拍手で認めてくれるものでなくて、結構反対が多い。その反対を押し切ってやっていくためには、自分なりに勝てるという確信が持てるようなアイデアでなければだめである。そうでないと、周囲の人の反対を押し切って、社会の常識、業界の常識にチャレンジすることはできない。ちょっとした思い付き程度では、反対論を押し切って、リノベーションを起こすことはできない。
- サッカーは典型的なチームワークでやっているが、点を取って、勝っているチームには全部ヒーローがいると思いませんか。ヒーローが出るということは、みんなで仲良くやったら何とかなるというものではない。ヒーローが出ることによって、初めて勝ったということがある。ビジネスの世界も同じ。当事者が問題意識を持って、高い志を持って、正確な目標設定をして、それに対峙して?初めてビジネス戦争に勝てるようなことができる。
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