恩師のインタビュー第1回 鈴木久美夫 先生

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名前鈴木久美夫 (すずきくみお)
プロフィール
1950年3月13日生まれ。静岡県袋井市出身。倫理・政経担当。1984年4月から1992年3月まで天王寺高校で教壇に立つ。
(天高37期~44期まで) その後、西成高校を経て、現在は北野高校に勤務。

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インタビュアー:
(天高42期)天野聡子,本田裕美,和田節子。3人は、1987年1年8組のクラスメイト。当時の担任が鈴木先生





和田 >> いま、北野高校に行かれてるんですよね。

そうです、去年の四月から2年目になります。

本田 >> 先生は、何年天高で教えていたんですか?

8年間ですね。最初の年に来たとき3年生の授業を持たされまして、現代社会っていうのが初めて編入されまして試験対策をやれとかいって、
文化系2時間、理科系1時間、その当時12クラスあって、文化系・理科系それぞれ6クラスで、合計18時間理科系は1時間で文化系と同じ内容をやれって言われてましたね。一番最初にもったクラスが1年七組ですけど、14年前、1985年ですね。

天野 >> 今の生徒と私達、昔の生徒とちがいますか?

確かに世代のちがいはありますけど、つきあいとなると同じですよ。変わらないですよ。1年から3年の先生とか覚えていますか?

一同 >> 覚えてるつもりなんですけどね(笑)

英語というのは、ウィークリーっていうのがありましたね。それでみんななんかハァハァ言ってましたね(笑)

本田 >> 大変でしたね。いまとなっては懐かしいですけど、当時は苦しかったですね。

天野 >> 先生はもし先生にならなかったら何になっていると思いますか?

いまだにまだフリーターしているでしょうね。大学出ても、ふらふらしてまして
小ちゃな小ちゃな印刷屋さんに印刷工の見習いで入ったんですけどね、27か28のころでしたね。で、まぁ、将来出版関係の会社でも興してやろうかなという思いで入ったんですけど、毎日、あの、どろどろになってね。
カラー印刷のね、印刷機でね。毎日朝から晩まで同じ仕事をずっとしていてだんだんこう、ああつらいなぁって思って(笑)。そのころに知り合った女性が細君なんですけど、子供が生まれるような状況になって、このままじゃいけないということで、教員採用の試験を受けたんです。

本田 >> 一番最初に天高だったんですか?

だから私が教員になったのが33か34だったかな。1984年、1985年ですね。思わぬ新参者としてあらわれて。(笑)

本田 >> それで、いきなり受験対策ですか? 大変ですね。

でもそういうのも天王寺の人はわかってくれてね。”先生、そこまでわからなくていいから”ってね。この連中はずっと大人だな。すごい連中だなと思いましたね。なかなかあの、天王寺ではじめてだったんで実現できなかったんですけどね、後ろの方にいるとなかなか授業についてきてないんで、こちらもファイトを燃やしましてね。今度また、北野に来たら、伝統的な静かな授業でね、こちらとしてもなんとかしたいんだけど、今年2年目でよーしそろそろいろいろやらしてもらおうかと思っています。(笑)

天野 >> 北野高校と天王寺とはちょっと違うとおっしゃってましたが、どう違いますか?

天王寺のほうは何でもやったらいいんだというね、北野はね、どちらかというとまだね枠があってこれをしてはいけない、ちょっと違うと白い目でみられるというような学生の雰囲気はありますね。服装の差ですかね、何をしでかすかわからないというようなのは感じられないですね。

本田 >>
よその学校は行ったことないのでわからないですけど、なんかやる気はありましたよね。なんとなく誰かがやろうっていうとわあってみんながやろうってついていってましたね。

天王寺はまだホームルームがあって、授業終わってから、ちょっと連絡事項とか一応あったり、北野はなんにもなくってね、朝もないし、終わってからもないし。教員と生徒が疎遠なのかな。

和田 >> 教師をやっていてうれしいことっていうのはどういうことですか?

それはですね、一番うれしいのは今日みたいに、卒業していった人達が、手紙くれたり、電話くれたり、まぁいっしょに飲もうとか、それはねもう、この仕事の冥利です。いろいろけんかしたり、にくまれ愚痴いわれたりとかなんとかしてもね。そりゃ同じですよ。

和田 >>
成績あがってきたりとか、いい学校に入れたりとかをそういうのをうれしいっていうのもあるんでしょうですけど、やっぱりやっててうれしいと思うのはそういうことなんですね。

なんかね、みなさんみたいにね、別に何もいわなくてもね、自分でとっととやっていってね、全然問題はないんですけど、天王寺の子でもいろんな問題かかえてて、信頼して頼ってくれてね、家庭的な問題とかいろいろな理由とか、進級が大変だとか、ハラハラドキドキする、まぁその時代はですよ、そういう子が辞めずに留年したり、卒業したりする時はやっぱりうれしいですね。2つのタイプにわかれると思うんだけど、天王寺に来ているということで評価していく、本心はそうじゃないんだろうけど、あえてそういう態度でやっていく、やっぱり人間だからしんどいしなぁと、うだうだいう僕みたいな人間と一人一人悩みながら、挫折しながら、生きざまみたいなのが自分の人生と音叉みたいにほぁーんと反響しあってね。いろいろみんなつまづいていってるんだなってね。

天野 >> でも、何がつらかったって、ウィークリーに悩んでましたね。(笑)

本田 >> 一週間にあんだけやらなあかんとかね。(笑)

和田 >>先生はクラスの新聞とかつくってくれていましたね。

今年からは2年生の担任なんですけど、2年1組でね、”ウィンドウズ201”っていうのをね。(笑)

天野 >> 日誌とかおもしろかったですね。

きみらの肉筆はちゃーんと僕の家に保管してありますよ。

一同 >> おそろしい…(^^;)

天王寺から西成っていうのは非常になんかおもしろかったですね。天王寺の前にお酒屋さんがあって、そこで荷物を運搬するのがあったんですよ。そこで、自分の荷物をまとめて送りだすときに、”転勤ですか?”ってお店の人に言われて、”どこいくんですか?”って、で言うと”ええっ”てへんな顔されて、”なんかあるんですか?”って言ったら、”大変な所いかはるんですね”って言われて、ああ、世間のそういう壁があるんだなって。で、行ったんです。行ったら、いろいろ時間はかかるんけど、
好きになってしまって。西成区のあの鶴見橋のあたりから、あまり天王寺に来ないんですね、鶴見橋中学から。でも鶴見橋中学の出身で担任持った子が近くに来たって言ったら、学校まで突然訪ねてきて、”すぐそばに赴任されてきたって聞いて懐かしくなって来ました”っていって、うれしかったですね。今にしてはじめて、よくわかります。中学のこととかよくわからなかったです。そういう個人的なこと、家庭環境は抜きにして、そういう所で成立してますからね。でも、西成ではそういうところまで把握していかなければならない高度な人間関係が必要になってくる。”こらー、待てー!”とかね(笑)

天野 >> 先生、休日とかはなにされてるんですか?

今はね、野球部の試合があるんで、試合に付き添いでついていったりね。あとは家の畳で、ごろごろと。

和田 >> 学校教育って変わってきていますか?

学校は、高校はね、2003年から新しい学習指導要領っていうのが適用されましてね、その1年前から週休2日制になって、内容はますます時間数が削減されて、むしろゆとりある教育っていうんですけど、現実の私立の学校と比べると、
いわゆる天王寺とかの進学校とかでは時間的なズレができるんで、その辺でいつか四苦八苦して、まぁ教育現場では知識ばっかりバーッていうとかでは学校自体に魅力がなくなるから、彼ら自体が自分で、こういうものはどうやって調べて、どうやってわかるようにしていったらいいのかっていう、まぁ当たり前の話しなんだけどね、そういう物を重視してどんどん発言させる、どんどん活動させるいうのを、ねらいとして導入させようとしてるものがあるんだけど、現実的にはなかなか難しいですね。いままでの人達の考え方と、新しい、全部違うわけじゃなくて、いっぱい一緒なんだけど、ちょっとここが違うなっていうのがあると思うんですね、僕らぐらいの年齢になると逆にぶつけられるはずなのに、あの、大阪府が若い教員がいないんですよ。採用あまりないからね。だから、同じ様な世代がいっぱいどんといて。これはあまりよくないですね。

本田 >> やっぱり若い先生っていうのは考え方ちがいますか?

僕が今いる北野では、いちばん若い先生が24歳か5歳かな。二人ほどいまして。もちろん非常勤の先生なんかもいますけど、やっぱり明らかに考え方は違いますけどね、そういう方がバンバンね、僕からすれば、もっと酒飲んでくれたらいいと思うんですけどね(笑)
最近は、教職員の倍率が百何倍とすごく高くて、あまり入ってこないですね。いろんな人間が集まってこないと、一つの世界がやっぱり作れないからそういう意味では、教職の世界はいましんどい時期でしょうね。訳のわからん人間がどっかにいると、ここでなんか分別のありすぎる人がいると、その間をうろうろする人間がいると、こういうのが一般のおもしろいダイナミックな世界だけども、固定化しちゃってだめですね。と、こういうわけのわからんことをいうから、でもお酒は飲むから、天王寺の頃もお酒誘われたら行ってましたね。古参の席ではなく、魔物の世界にすくってましたね。最後はスナックにいって、酔いつぶれて、次の朝に”みなさん、おはよう!”って。何重人格だろうなって。

卒業生の諸君なんかと、いろいろ飲んでるとね。”おまえはきっとあの時、あんなふうなことを考えながらいたんじゃないのか”、なんてドキッとするようなことを指摘されますけどね。”じつは….”とかいってね。それがなかなかありがたいことなんでね。おもしろいですね、年令はだいぶちがってもね、今だに皆さんにでも、”鈴木、言いたいことがあるんだけどもね….”って呼び出してくれるとね。(笑)







<< 後記
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突然のインタビューの申し入れにもこころよく応じてくれた、鈴木先生。ありがとうございます。学生時代には聞けなかったこともお話していただき、とても楽しい席になりました。”すっ、すごい!”と思ったのは毎朝5時半に起きて、家族のお弁当をつくるのが楽しみとか。これからも元気でがんばってください。

(天高42期) 天野聡子,本田裕美,和田節子banzais


鈴木先生と美女3人

鈴木先生と美女3人


4月吉日 阪急32番街29F”南や”にて