明治30年新校舎が完成して、大蓮寺から移転した
上本町地区は当時一帯の桃の林であり、上町台地の
上にあったため「桃山」と称され、さらにその東の
低地は「桃谷」と呼ばれた。校友会誌「桃陰」は、
まだ校舎が雨漏りのする荒れ寺に仮住まいしていた
さなかに、台地上に建設中の新校舎の桃の花の匂う
陰を夢見、大きな期待に胸ふくらませて登場した
30年4月入学の新入生(第4回生)によって企画
されたものである。まだ上級生の多くが、第一尋常
中学校に対する未練を囲っていた時に、それを一気に
吹き飛ばす意気をもって、新しい母校第五尋常中学校
への憧れと誇りを示すべく、新一年生が校友誌発刊を
率先企画したことは、天中魂の逸早き発露といえる。